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オタクの話

3連休の最終日はEVOっていう格ゲーの世界大会がありまして、ストリートファイター部門の決勝トーナメントを配信で見てました。決勝トーナメントの中で敗者復活みたいなシステムがあって、その敗者復活から上がった日本人が現在最強のアメリカ人に勝って優勝。3セット先取で勝ちなんだけど、決勝は敗者復活から上がった側だけ更に3本取らなくちゃいけないっていうルールの中で勝ったのが見てる側を熱くさせました。しかも優勝インタビューがまたかっこよくて、今回予選で敗退した友人の名前を出して「一緒に練習した彼のおかげで勝てました」みたいな。オタクでよかったと思った瞬間。

 

DMM Okan

DMM Okanっていう家事代行サービスが他社と比べてすごい安いらしい。それが流行ると結婚できないって言ってる女の人がいた。1つ前ので書いたやつもそうなんだけど、なにやらおれは女の人が女性の地位を下げる言動が許せないっぽい。女の人だけじゃなく集団の品位を下げるような人間(自分とその集団の関わりはなくても)が無理めかもしれない。その家事代行の話をしてたのは、東京のベンチャーでバリバリ働いてますみたいな女子でなんだか悲しい気持ちになった。随分昔にお坊さん一家がクリスマスにケンタッキー食べてる様子をテレビで見たことがあって、ふとそれを思い出した。

 

ライジング

毎年近くなってチケットが買えないだのテントサイトを譲ってだの見るんですけど、どうして前もって買わないんですか?理由は人それぞれかと思いますが、理由が「怠惰」の人多すぎません? 毎年どうにかなってるんだろうけど、どうにかなった経験がさらに怠惰を加速させるじゃん。しっかりしよ、大人なんだから!

 

カロ歯令

25歳になりました。四半世紀はエグい。

先々週怒り狂ってた話

先週怒り狂ってた話をします。職場のおばちゃんのご家族に不幸があって、お通夜に行くという社会人イベントが発生しました。そのお通夜に行くまでの話です。

お通夜の前日、就業時間ももう終わろうという頃。30過ぎの先輩女子が後輩A(23歳女子)、後輩B(22歳女子)のそれぞれのもとに駆け寄り何か話しかけていた。後輩らは社会人イベントに不慣れだろうと思い気遣っているのだろうかなんて考えていたが違った。「明日のお通夜って行く?行った方がいいのかな?」みたいなことを30過ぎの先輩からしている。恥ずかしいと思った。30を過ぎても自分で決めることができないなんて可哀想だし彼氏もいなさそう、とも思った。そしておれはに何も聞いてこなかった。まあそうだろうと思ったし、おれは勝手にお通夜に行こうと決めていた。それで何の問題もなかったのだが、課のおばさんらもその輪に加わり「どんなの着ていく?」だの「どうやって行く?」だのプチ会議が始まってしまい"女性チームとえだ"みたいな構図になった。(課の中で男はおれだけ)他の人におれの姿は見えていないんじゃないかと思ったし、なんだか小馬鹿にされているような気分になった。そしてこの時点でぶちギレていた。これがおれの拡大解釈だっていうのはわかってるんだけど、小学校の頃好きな子に話しかけにいって「いつから居たの?」って言われた記憶や中学校の頃担任に「さかえだ」って呼ばれたのち呼称が「お前」になった記憶、一緒に地下鉄を待っていたはずなのに彼女だけ共通の知人に声をかけられた記憶など様々な蔑ろ体験によって積み上げられたのである。

そんなこんなで憤慨し腐ったおれは社会人お通夜マナーに明るくなかったが「社会のことならお前らじゃなくともネットとオカンが教えてくれるワイ!」と文字に起こすと非常に情けないマインドを胸に退勤ボタンを押した。早く大人になりたい。

わたしのニーチェ、あなたのニーチェ

インスタを見つけた。一通り見て、一方的に見ていることへの罪悪感がぼんやりと生まれてきた。後日、本人にそのことを伝えてみることにした。辱めてやろう、そしてその姿を見ようという気持ちも少なからずあった。

インスタ見てますという懺悔をすると想像を超え恥ずかしさに身悶えていた。何なら怒ってるようにも見えた。申し訳ない気持ちもあったがホクホク😊😊という気持ちが3:7ぐらいで勝っていた。抱えていた罪悪感も薄らいで、たじろく姿も確認できていい気分。いい気分だった。急に彼女も懺悔したいことがあると言い出し、このブログの存在と覚えている記事の情報を述べはじめた。僕はなんにも動じてませんよ〜〜みたいな顔することに全神経を注いだけれども、もう自分の舌おもっきし噛むしかないんじゃないかってぐらい恥ずかしかった。互いの勤勉さで殴り合う日がこんなにも早く来るとは思はなかった。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。こっそりインスタを見ていた時、相手もまたはてなブログを読んでいたのだ。

ネメロフ

人を殺したことのある人間はいつか誰かから刺される可能性に怯えるはずだし、万引きしたことある人が間違ってコンビニ店長になんてなったら中高生が入店する度に気が立ってしょうがないんじゃないかと思う。間違ったことの弊害は正しく生きるときに他人をまったく信用できなくなることだと思います。年老いた自分のためになるべく野菜を摂ろう!最高の夏にするために種を蒔こう!明日の自分のために早く寝よう!

netsu

お別れが苦手だ。卒業式、送別会、お葬式。人との別れが辛いって話ではない。みんな一斉にめそめそし出すからだ。そのめそめそウェーブにいつだって乗れない。乗れないと急に自分が人の心を持たない冷酷人間なような気がして悲しくなる。このような理由でお別れが苦手である。たとえば卒業式でぎゃん泣きしてる女子グループが後日ツイッターでなんてことないやり取りをしてたりするじゃないですか、するんですよ、それを見たとき卒業式で涙を流すっていう方法で学校生活に区切りを付けたんじゃないの?とか、今どんな顔でツイッターしてんだよ!とか思うんですよ。今後この人と一切関わることができないんだっつって悲しむ気持ちはわからんでもない。けど今はスカイプもあるしツイッターもある、その気になれば会いに行ける。そもそも卒業なり転職なりは未来のためにした選択でしょ、そう考えると悲しむとかお門違いでジャンプ漫画の最終回みたく「オレ達の旅は終わらねぇ!」って感じの方が望ましく思うな〜〜

 

今まで大切だったものがどうでもよくなって、だからといって他の何かが大切ランキングに食い込んでくふわけでもなく、ただぼんやり悲しい。服へのときめきもなくなって狂ったようにやってたゲームも面倒くさくなってきた、なによりもう音楽やらないんだろうなって実感が湧いてる。ひとりで音楽やりたいなって働く直前ぐらいからずっと思ってた。それは誰かが待ってるとかじゃなく、恥ずかしいけどつらくなったときは確実に自分の曲を聴いてたから、防災用の乾パン的な意味で、いつかダメになりそうな時のために音楽する必要があると思ってた。思ってる今も。けど最近生活について思うことがあって。我が家には時計がなくて、ゴミ箱がなくて、衣装ケースがない。生活のためにお金を時間を使ってこなかったことへの後ろめたさというか、生活をしゃんとすることによって呪いが解けるはずだっていう信仰があって。逆に服も音楽も自分の暮らしを無条件にいいものにしてくれる訳じゃないって今さら思い知らされて、そのことに大変くらっているのだと文字に起こしてわかった。